NPO法人 東京高円寺阿波おどり振興協会
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桃園川











緑道公園として生まれ変わった桃園川。
草木に彩られ、今では界隈で、もっとも季節の移り変わりを感じられる場所になりました。
水辺をイメージした銅像や オーナメントがあちこちに点在。 お気に入りのスポットを見つけてみましょう。

JR 高円寺駅を背にして南へ歩いていくと、高南通りはもちろんのこと、細い路地であっても北から南へ進めば必ず小さな橋を超えます。
橋といっても川はなく、 欄干や小さな石柱だけが、そこにかつて川があったことを静かに物語っています。

川の名前は「桃園川」。
今やその名前は「桃園川緑道」という細長い公園に残されるのみですが、マンホールのある場所で耳を澄ませば、足元から水が流れ る音が聞こえてくるでしょう。

その昔、高円寺界隈は一面の野原と農地でした。
今から160年ほど前の1841(天保12)年、灌漑用水として整備されたのがこの桃園川。

つまりただ の原っぱだった高円寺が田畑となり、やがて街へと変貌を遂げる発展の第一歩といえるのは、ほかでもなく、桃園川がひかれたことによるのです。

そんな桃園川も周囲の宅地化に併せて灌漑用水としての役目を終え、1967(昭和42)年に暗渠化されました。
足元から聞こえてくる水の音は、高円寺の街を育てた母なる川、桃園川の秘かな心臓音といえるでしょう。

阿波おどりが始まった当時、桃園川はまだその流れを表に見せていました。

古くから高円寺にお住まいの方々に昔話をうかがえば「桃園川で遊んだ」、「ケンカをして川に突き落とした」、 「台風のときに川があふれて、阿波おどりが中止になりそうになった」、「宝橋のところで云々……」など、 川や橋にちなんだ思い出が、どなたの口にものぼります。それほど当時の高円寺の人々にとって、桃園川はとても身近な存在だったのでしょう。

では今、あなたにとって、桃園川緑道は、どんな存在でしょうか?

さて桃園川の名前は、江戸時代初期のこの界隈に桃の木が多く植えられたことにちなみます。

8代将軍徳川吉宗が市中の民に行楽の場を提供しようと、江戸近郊に桜や桃の木を植樹して行楽地をつくりました。
現在桜の名所と知られる飛鳥山(北区)や小金井(小金井市)も、そのひとつです。

中野の南の川沿いに桃林がつくられ、そこで人々が楽しむ模様は「江戸名所図会」(天保7、1836年)に「桃園春興」という挿絵に記されています。
もしもそのまま高円寺に桃林が残っていたら、街は違う成長ぶりを見せてくれていたかもしれませんね。

ところで桃園川はどこから流れてくるのでしょうか?
西側をたどってみると区立阿佐谷けやき公園(杉並区阿佐谷北)に行き着きます。
しかし資料では「天沼弁天池」(杉並区天沼3・現在は埋め立て済み)を源とし、 阿佐谷けやき公園の湧水をはじめとする小さな流れを集めて、東は末広橋(中野区中央)で神田川へと合流しています。
今でも東へ桃園川緑道をたどっていくと神田川へ到着しますので、休日の散歩にぜひ足を運んでみてくださいね。


桃園春興 『新訂 江戸名所図絵4』
市古夏生、鈴木健一校訂(ちくま学芸文庫)より

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